人それぞれに考え方、そして思想があります。
例えば自然派の人、そうじゃない人。
宗教哲学だけを信仰する人。
そして、科学的根拠がないものは一切NGという科学を信仰している人。
みんな違ってみんないい・・・って昔小学校で読んだ本にありましたよね。
筆者はやっぱり中道がいいな〜といつも思いながら自然派を信仰する人、科学を信仰する人を見ています。
植物の栽培
このサイトでは、「地球を楽しむ」をテーマに植物の環境制御の記事を投稿しています。
内容からみると筆者はまるで科学信仰者のように映るかもしれませんが、決して科学信仰者ではありません。
中道を目指す者という立ち位置にしておきましょうか。
決して無農薬無肥料の植物こそが正義であるとも思っていませんし、化学肥料と農薬まみれ、まるで漂白剤で洗ったかのような野菜も好きではありません。
自然農法なんていうのもありますが、どうでしょう。
植物のエネルギーをいただくということは、人類が血を流さずに済む方法として見つけた叡智の一つかな〜とも思いますので、肯定する立場はとっていません。
でも、人によって環境制御栽培は不自然に映るかもしれません。
室内、(できれば人間が住む家)で調光し、CO2も調整し、糖度も調整し、それらをセンサーをつけてプログラミングでモニターし、機械学習で制御していく。
害虫や病気の管理も徹底させる。
見た目不自然に映るでしょう。
でも、人間だって、テクノロジーのおかげで環境制御しながら寿命を伸ばしています。
植物はCO2ですが、人間は酸素。
酸素が少なくなればspo2を計測し、必要量投与して、体の安全を保っています。
あれだって、マスクタイプと鼻チューブがありますが、マスクタイプはつい300年ほど前の人が見れば不気味でしょう。
でもなれてくるもの。
室内が35度だったら機能が維持できないから、機能が維持できる温度まで下げています。
でも例えば、体調が悪くなったら科学技術に頼るべきだとも思っていません。
あくまで選択肢の一つとして肯定も否定もしない。
体調が悪くなった時にトライするアプローチは人とファンクションのリソースが少ない順番に試したい。
(つまり筆者ならムドラです。)
とそんな思いを持っているわけであります。
自然療法は効果がある?
科学を盲信する人にとっては、適正なデータサイズと、データが存在するもの、そして、再現性が一定の基準値に到達しているものしか信用しないという人もいるんでしょう。
「それってなんかデータとかあるんすか?」というやつです。
「ないです、それがなにか?」と筆者は思うわけです。
例えば筆者の発信している432hzという周波数。
あるいは、人間の治癒能力を高める音楽。
なども然りです。
実験はしたのか?データをとったのか?
「とってないし、知らないし、そんなことはどーでもいいし、やりたければデータ取ればいいけど、サンプルサイズと同数の観測者が必要だよ?」としか言えません。
データというのは一つのツールであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
つまり木を倒すのにチェーンソーを使うのか、日本刀を使うのか?アサルトライフル打ちまくるのか?空手チョップを使うのか?という選択肢の領域をでません。
というのも、この世界の構造が量子力学的に構成されていることが論理的にわかってきているわけですが、それは詰まるところ、データによる再現性というのは、その人の世界観の数だけ存在すると言えるわけです。
なので、自然療法、例えばレメディーやフラワーエッセンスなどの「成分は水とかブランデー」みたいな液体には、「効果は見込めない」といわれて凹んでいる人は、筆者が一人の観測者として「効果はある」と断言しておきましょう。
神に祈る
これも効果があると断言しておきます。
少なくとも筆者はこの宇宙の観測者として効果があることを知っています。
フラワーエッセンスは、お花のエネルギーが投入されていて、お花が持つエネルギーがあなたのエネルギーと共鳴し、規定の効果が見込めます。
成分は水なのに?そうです。
それは、科学信仰の人がH2Oしか観測できていないだけ。
結構面白いのが、科学信仰の人って、自分の目に見えないものでも、誰かが作った機械がそれは存在すると表示すると、信じてしまうんですよね。
赤外線や紫外線、また、超音波の存在などが代表的です。
世の中には人間が感知できないこと、ものだらけです。
音楽家という視点でみたときに、音楽心理の科学文献を読むと、もう滑稽で仕方ないという世界。
科学者(心理学者)は音楽を、悲しい、楽しい、嬉しい、怒りの4つの感情に分類し、大勢の人に分類してもらい、その音楽は4つのうちどの感情と結びつくか?
なんていう実験を結構大真面目にやっていたりします。
音楽とか芸術って、体験したことのある人ならわかると思いますが、、、もっと、、、その、複雑なんですよ・・・
ということ。
ただし音(音楽)を人間が音楽と感知するために時には算数が使われていたり、関数として数学が使われることだってあるでしょう。
なのでそれさえも中道を探りたいと思うわけであります。
ワクチンのこと
この記事はGoogle検索にno indexしてるので、書いてもいいのではないか?
これだって中道がいい。
あなたの魂が求めるなら打てばいいし、魂が欲しいな〜と思っていないなら打たなければいい。
政府が強制するなら日本国民を辞めればいい。
逃れようがないのであれば諦めて人生の川の流れに乗ればいい。
そんな印象でしょうか。
個人的には医学というのは、西洋の哲学であって、それはつまり対症療法が基本になっているわけであるので、対症療法の哲学に徹してもらえたらと思うわけであります。
危険予測リスクに対症していますといわれればそれまでですけど、筆者の基準としては、
体調が悪くなった時にトライするアプローチは人とファンクションのリソースが少ない順番にとしているので、そもそも体調が悪くなってもいないのに人的または機能的リソースを使うということはまずありえない、ゆえにワクチンは打たないという感覚です。
みなさんはどんな考え方ですか?
まとめ:信じることで救われる
この宇宙の、そして世界の構造のシステムとして基本構造は、物質は最小単位は素粒子であり、根源は振動のみです。
また、私たちがものであると認識している物体は、プリズムの投影であり、本質的にはやはり振動であるわけです。
その振動が世界を作っているわけですから、並列した複数の観測者による再現性が100%のものは存在しません。
直列した単一の観測者によれば、再現性は100%であり、次元を超えて世界を自由に創造できます。
そして、私たちは後者のシステムであると観測すると、自然派のシステムは、あなたが望む通り正しく機能します。
焼け爛れた重度の火傷が数分後に茶色いシミになっていたなんて現代の科学技術では証明しようがありませんよね。
子供の頃擦り傷をつけたら「おばあちゃんの唾を塗っておけば治ります」と言われて、雑菌まみれの唾をつけたら翌日綺麗になっていたりすることもありました。
この世界は本当に面白いシステムで成り立っています。
ただそれだけのことですが、だらだらと残暑厳しい9月に語ってみました。
では。